諸政策をアセスメント(査定・評価)するための基準
諸政策をアセスメント(査定・評価)するための基準
Ver. 0.1.0, 2001-12-20, Paritosho
今晩は、pari です。
手短に、“諸政策をアセスメント(査定・評価)するための基準” として私が考えてきたことを書きます。
これからの地球世界で、この「基準」を満たさないようなものは、 じつは、「政策」の名に値しない、と考えられる基準です。
そして、そいうような“観点”を流行らせたいと思っています。
と言っても、ごくごく常識的な基準です。既に充分に世の中で喧伝 され、常識として通用している観点です。
そして、必ずしも Miki さんが言うように「TAO」そのものを記述し ようとしているわけでもありません。
「政策」は人間の欲の世界のことだから、その“欲”の中から出て くる諸政策を、もう少し広く大きな観点の“欲”からアセスメント (査定・評価)しようとするものです。
こういうのにはよく三という数が使われるようなので、何となく、 三つにまとめてみました。
題して、大袈裟に『二十一世紀的政策査定原理』(試案)とします。
『二十一世紀的政策査定原理』(試案)
第一原理:「蘇生・共生の原理」
<意味>
ここまで破壊され・疲弊し尽くした地球で、これ以上の破壊を手段 とする“政策”は、もはや“政策”の名に値しないし、可能でもな
い。これから実施可能な政策とその政策の実現手段・技術は、そこ に棲息するあらゆる生き物を含め、地球生態系を「蘇生」させる方 向のものでなければならない。
地球人類はこれまで、“悪しき”部分を排除・摘出・撲滅すること で目的を達成しようとしてきたが、すべてが地球生態系の必要不可 欠の構成部分であることが判明したこれからの時代、そのような方
法論を採る“政策”は既に政策の名に値しない。
これから可能な政策は、地球生態系のあらゆる生き物と「共生」す ることを前提にするものでなければならない。
<原理の適用例>
- 物理次元の最も基本的な単位である「原子核」を“破壊”するこ とによってエネルギーを得ようとする原子力発電が目指す方向は、
これからの時代の“エネルギー政策”の名に値するのかどうか。
- 土壌中の微生物を“殺す”ことで、収量を上げようとする“農業政 策”は、政策の名に値するのかどうか、など。
第二原理:「見晴らしの原理」(自立・自治の原理)
<意味>
宇宙内に存在するあらゆる生命存在は、自らの「見晴らし」の下に、 自らの意欲と判断に従って、自らの幸福を追求することを許されて
いるのだから、これからの時代に政策の名に値するのは、個々人の 「見晴らし」を拡大し、個々人が自分の意図と意欲に従って生きて 行くことを支援する方向のものでなければならない。
「見晴らし」を拡大するとは、意識存在としての成長を促す方向、 必然的に「自立・自治」能力を高める方向、個々人の責任担当能力、
“知識”“気づき”を高める方向である。
<原理の適用例>
第三原理:「単一基準の原理」
<意味>
諸政策を策定するに際しては、その政策の実施主体が自らその政策 の施行対象となることを前提していなければならない。
政策の策定は「単一基準」に則っていなければならず、政策を実施 したその結果が自分に及ぶことを望まないような政策は、既にこれ
からの時代の政策の名に値しない。
つまり、「ダブル・スタンダード」はこれからの時代の政策に必要 とされる基準を満たさない。
三つとも、何か非常に“同じようなこと”を言っているようでもあります。
仮にこの三つの「政策査定原理」に照らし合わせると、現在の地球 世界の政治家たちが「政策」と言っているもののかなりの部分が、
“政策”の名に値しないことになってしまいます。
取りあえず、以上です。
Love pari
変更履歴:
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Ver. 0.1.0 |
2001-12-20
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Paritosho
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WOMBATメーリングリストに発表
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2001-12-23
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Setu
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html化、ウエブページにあっぷ
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